立会い出産の話

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妻の出産には立ち会うか。
自分の場合は、まだ自分の不妊症など知る由もなかったころから「立ち会う」と考えていたので
悩むことは無く立ち会うことに決めた。
それに、手術まで受けて授かった子供なので見届けたいという思いも強くなっていたのかも知れない。

妻は里帰り出産を希望していた。私は予定日直前まで東京に残り、
出産直前で妻の実家がある熊本へ向かうこととしていた。
予定日より数日早く
「医師の診断で、早目に産むことにするって」
と連絡。日程変更は覚悟していたので困ることはなく、飛行機の予約に少し焦ったくらいだ。
熊本市内の繁華街近くにある病院だったので、近くで空いていたビジネスホテルを点々として数日過ごした。
ホテルの朝食で奥歯の被せ物が取れる日があったり、極小のカプセルホテルで過ごした夜もあった。
普段なら窓も無い部屋など気が滅入って仕方ないのだが、
これから迎えられるだろうドラマを想像するとどうでも良くなった。

早目に産むと言っていたものの、妻の陣痛は遅れていた。
私が焦っても良いことは無いと思い、医師や助産師の話しを聞いた後は妻の横で
一緒にドラマを見たり落語を練習してみたりと、のんきな時間を過ごしていた。
入院4日目で本格的な陣痛が始まり、それまでののほほんムードが一変。
そこからはひたすらに妻の腰を押したり揉んだりして妻の腰を押しすぎて自分が腰痛になったほどだ。
はたして数時間後、妻はわが子を無事に産んでくれた。

妻の妊娠中に考えていたことがある。
子供が産まれた瞬間、その喜びを僕は何に例えるのだろうと。
天使のラッパか喜びの歌か。
しかして、出産の瞬間、何も言葉は思いつかなかった。
言葉で例えられるものはそこには無かった。
感情や考えを伝える為の道具として作られた言語には、
圧倒的な感情そのものを捉えることは、どんなに頑張っても出来ないということを
僕はその時初めて知った。

妻の出産には立ち会うか。
何が出来るわけでも無いけれど、私は迷わずにYesと答える。

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